SNS に疲れたあなたへ。今の時代に足りないものは?
お疲れ様です。
けーさんと申します。
今回は、何故私がブログをはじめようと思ったのかについて書いていきたいと思います。
・けーさんについて
まず初めに簡単な自己紹介をさせていただきます。
何卒お付き合いください。
・1990年生まれの男の子
・蠍座
・都内在住(生まれは埼玉)
・B型、Rh (+)
・趣味は料理、ゲーム、勉強(!)
・高校時代は朝から晩まで勉強漬け
・大学入学後すべてから解き放たれた結果、見事試験に失敗する
・3ヶ月ほど「おニート」生活を味わう(同時に“痔”を発症する)
・このままじゃダメになると思い、バリバリ体を使う派遣仕事に応募、いわゆる細マッチョになる
・体が強くなって、心まで強くなったと勘違い。そのままの勢いで勉強にうちこみ、一年後試験に合格する。
・現在はクリニックで臨床検査技師としてお仕事中。
こんな感じですね。何の面白みもない、そこらへんにいる人です。
他に書くことといえば、国家試験に落ちたあと心が折れて外に出なくなり、その結果体重が過去最高におち肺炎にかかってしまったとか、治った2週間後にもう一度肺炎をお代わりしてしまい、医者から「おじいちゃん並みの免疫だね」とdisられたりした程度なので、今回は省略いたします。
・言いたいことも言えないこんな世の中じゃ
さてさて、こんな平凡な私が取り上げたいテーマは、タイトルにもありますとおり、
「今の時代に足りないもの」です。
質問です。
皆さんが考える、“今の時代に足りないもの”はなんでしょうか?
お金でしょうか?
時間でしょうか?
睡眠でしょうか?
愛でしょうか?
確かにこれらも足りていませんね。(私ももっとお金も時間も睡眠も欲しい!特にお金!!!!)
しかし私が考えるに、これらよりももっと、圧倒的に足りていないものがあります。
それはずばり、”誰かにほめられること、誰かをほめること”です。
何かを頑張った時、成し遂げた時、多くの人はその努力を認めて、ほめて欲しいものです。
「よくあきらめなかったね、僕にはとてもできないよ、えらいね!」と、口に出してほめて欲しいはずです。
私はほめて欲しいです。ポイズン。
・インターネット社会の弊害
ですがインターネットが普及したこの世の中では、実際に顔を合わせずとも誰かの生活の一端を垣間見ることが出来るようになりました。
またそれに対して、ボタンひとつで反応をすることが出来るようになっています。
この機能には簡単に人同士の接点を作り、交流の幅を広げることが出来るという大きなメリットがあります。
ですがその反面、人同士の付き合いが深くなりにくいという大きな大きなデメリットを生み出してしまいました。
あなたは最近、誰かをほめたり、誰かにほめられたりしましたか?
・疲れた!
簡単に出会える人とは、簡単に別れることが出来ます。
互いの主義主張が自分と合わなかったなら、これまたボタンひとつで関係を解除することが出来るのです。
私たちは、フォロワーやRT数、いいねの数など価値が視覚化されたコミュニティの中で、「自分にはこんな価値がある!」「こんなに多くの人の支持を得ている!」と主張しあっています。
ですがこんな日々に、疲れてしまっている人が多くいるのではないでしょうか?
例えば今この瞬間、「ちょっとスマホを見て」といわれたら、あなたは見ることができますか?
ほとんどの人が、こっそり見る分には可能なのではないでしょう。
そしてちょちょいと操作すれば簡単にTwitterやInstagramを開くことが出来てしまうでしょう。
SNS疲れなんていわれていますが、ちょっとした空き時間でもSNSにアクセスすることができる現代、SNS疲れ=現実での疲れといっても差し支えないのではないでしょうか。
顔や性別はわからなくとも、確実に存在する誰かと交流しているわけですからね。
・SNS疲れの正体
ではなぜ、私たちは疲れる一方なのでしょうか?
おそらく「疲れなんて一切感じていない、楽しくて楽しくてたまらない!」という人もいらっしゃるでしょう。
かなり珍しい部類なのではないでしょうか。
立派な才能です。
本当にすごいです。
ですが多くの人は、すでに述べた「知らない人との広く浅い付き合い」に加え、「発信に対する反応が無い」ことに疲れてしまうのだと思います。
例えば、あなたがツイッターで「今日あった面白いこと」をつぶやいたとします。
何の気なしに、です。
ではそのツイートが
①特に何も無く流れていく
②大量のRT、いいねをもらう
さて、どちらがうれしいでしょうか?
例としては極端ですが、当然②でしょう。
こんなにいろんな人に見てもらえるなんて思っていなかった、そんなに面白いことを言ったつもりは無かったなど、予想外のことほど感情が刺激されることはありませんよね!
ではでは、なぜうれしいのでしょうか?
それは、いつもは埋もれているはずの「SNS上のその他大勢」だった自分が、その瞬間だけは「面白いことを言った人」としてカーストの上位に一気に押し上げられるからです。
多くの人に認められ、褒められ、賛同を得ることが出来たからこそ喜びを感じることが出来たのでしょう。
”誰かに褒められること”
この楽しさ、そして大切さが少し感じられたでしょうか?
感じてもらえていたら幸いです。
ではここでまたクエスチョン。
Twitterをやっている方の果たして何割が、この喜びを感じたことがあるでしょうか?
それもある程度定期的に、です。
私も含めて、ほとんどの方は「No」と答えるでしょう。
私たちのほとんどには、”誰かに褒められること”が必要なはずなのに、肝心な”褒める誰か”がいない(足りない)状態なのです。
どうしましょう。
そこでいよいよ私の出番というわけです。
私は現在、何のとりえも無い凡人です。
ですがひとつだけ、人生の中で得意かも?と思ったことがあります。
それは、人をゆっくりじっくり褒めることです。それはもう弱火のごとく。
その人をよく見て、何が好きなのか、嫌いなのか。何を考えているのか、いないのか。
時間は少しかかりますが、上辺だけで人を判断せず、いいところをしっかり見つけて褒めることが出来ます。
これってすごくないですか?
考え付く人はたくさんいるかも知れません。ですがそれを実際に言葉に出来る人はなかなかいません。希少です。
そう、私は希少なんです!(ドヤ
今の私には、多くの人を救えるだけの手段が揃っていません。
SNSのつながりがある人も、リアルな友達も、そもそも人を効率的に褒めるロジックもまだ勉強中です。
ですが、今抱いている「誰かを褒めたい」という想いが、いつかきっと誰かの役に立つと信じて、発信をしていきたいと思っています。
いつかあなたに、届きますように。
ではでは、けーさんでした!